事件簿Ⅲ 彼と私の20日間戦争-終結 [あの日から今日まで]
”彼”の手を放してしまった瞬間に、私が出した答えは間違いだったと気付いた。
けれど、それは後悔ではない―。
この時の私は、どんな方程式を使っても、別の公式を当てはめても、間違ったこの答えしか出てこなかったのだから…。
私は、自分の弱さを棚に上げて、”最初から話してくれたら…”と言って責めたけれど、仮に事前に打ち明けられていたとしても、別の形で”彼”を責め立てたに違いない。
”彼”の胸に飛び込んだ時にあったはずの”覚悟”って…一体何だったのだろう?
始めから、たいした”覚悟”もしてなかったんじゃないの?
自問自答してみたところで、”彼”に甘えていた自分、独りよがりで弱い自分が浮き彫りになるだけだった…。
家に戻ってから3日目―
抜け殻のような状態で出社してはみたものの、仕事など出来るはずがない。
情報処理という仕事の性質上、誰かと会話しなくても端末に向かうだけで作業は進められる…裏を返せば、心の中で他の事を考えていても手は動く…。けれど、そんな状態で成された仕事は結果的に粗悪であり、他の人に迷惑を掛けるのは必至である。 集中しなければ!!の思いを強いるほど、気持ちのコントロールが出来なくなり、涙がこぼれる始末。
結局…”体調不良”そんな理由をつけて早退した。
付き合い始めた頃に母に言われた言葉を思い出す―
”二人の気持ちが離れた時、何もない女になってしまわないように…仕事に就きなさい”
本当にそんな日が来るとは思っていなかったのに、そして、その仕事まで放棄してしまうほどに”何もない女”になってしまった不甲斐無い私だ。
その日の午後、”彼”から宅配便が届いた…。
≪返した指輪と短い手紙≫
俺の気持ちは変わってないから、返してもらわなくていい。
受け取った時とは気持ちが変わってしまったなら、美由が捨てればいい。
こんな風にして、何度も差し伸べられる”彼”の手に、どれだけ甘えてきたのだろう。そして、またその優しさに流されてしまいたい衝動に駆られる自分に嫌気がさした…。
その夜から、何も無かった時のように毎晩、会社帰りに”高速に乗った”合図のコールが鳴ってから20分後には家の前に”彼”の車が止まる…。前と違っていたのは、その車に私が乗ることはなかったという所だ。
それなのに、いつも話をしていたのと同じ時間だけ、その場所に居て帰って行く”彼”…その灯りをベランダから見送っていた私…。
どうしてそこまで意地を張るのか?と思われるかもしれないけれど
この時の私は、”彼”を困らせたりしたかったわけでも、意地を張っていたのでもない。≪私ではダメだ≫と心の底から思っていたのである。
来る日も、来る日も≪気持ちは変わっていない≫と待ってくれる”彼”の気持ちに追いつけるだけの”強さ”が私にはない。
”彼”が待ってくれるその時間、家にいるという事さえも苦しくなった。
その週末―
友達の誘いに乗っかるようにして朝方まで飲み歩き、また逃げた…。
フラフラと酔って、朝帰りした私を母が許さなかったのは言うまでもない…。
ドアチェーンを外し、155cmの母が168cmの私を引きずるようにして、玄関先からバスルームに引っ張り込み、洋服を着たままの私に”ザバーッ”と冷めかけた残り湯を浴びせた
そして一言でバッサリ斬られた―”見苦しいわよ”
全くもってその通りです。返す言葉が無い…いや、それと同時に胸の痞えがとれた様な気がした。
熱いシャワーを浴びて、酔いと弱気を洗い流してしまいたかった…。
「ママ、ごめんね…」
まだ雫が落ちる、私の髪をタオルで拭きながら、母が答える。
「謝る相手が違うでしょ?美由の気持ちはわかるの。でもね、今回の事に限らず、何もかも知る事ってそれほど必要じゃないと思うの。美由が何でも話して欲しいって言うなら、それを許せるか乗り越えられる女にならないといけないんじゃない?それくらい信じられる男だと思うケド。違う?」
「わかってるんだけど…。私がヘタレなの全然ダメ!!!」
「雅樹クンは我慢しろって言った?変に拗れる前に全部ぶつけてもいいはずなのよ、それを中途半端なところまで我慢するから言い方を間違えるのはママそっくり、パパと同じ苦労を雅樹クンもするのね。(笑)」
そう言いながら、母は封筒と小さな包みを取り出した。
「去年の今頃だったか...美由を福岡に連れて行きたいって言いに来た時に、”これを預かって下さい”って持ってきたの。」
”彼”から母に託された物―
”彼”の筆跡で署名・捺印された婚姻届
≪M to M≫ と内側に刻印されたマリッジリング
「本当にもうダメなら、雅樹クンにこれを返して来なさい。」
”美由には関係ない”という言葉の意味がそこにあった…。
ちゃんと前を見ている”彼”と、いつも後ろ向きの私。
その日の夜、いつもの場所に車を止めている”彼”に電話を入れた。
「降りていってもいい?」 「他の誰かを待ってるとでも思った?」
どちらも微妙に素直ではない会話だ…。
けれど、久しぶりに”彼”に会って≪もう一度だけ甘えさせて下さい≫という素直な気持ちになれた。
「これ返してらっしゃいって言われたけど、またママに預かっててもらってもいい?」
この言葉で、敗北と終結を宣言した。
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